昨日は東京大空襲から79年目でしたが、今日は3.11から13年目の節目。
実家は原発から、だいたい40-50k地点ですが、当時は放射線量が大幅に上がっていました。今は大学生ですが、当時幼かった甥っ子達が翌日にはうちに避難してきました。
そして、2011年は川崎議会議員選挙に挑戦した年。
今はもう選挙は4回経験していますが、当時は生まれて初めての選挙戦。何をしていいかもよくわからず、右往左往しているときに、川崎市宮前区のアスファルト道路が波を打つようにしなり、車の運転をやめ、ただ事ではない、何かが起こったことを直感しました。
3.11。
約20日後に控えた選挙戦を前にした重要な時期。福島友人から「施設の人が足りない」との報を受け、居ても立っても居られなくなり、甥っ子を家族や地元応援者に任せ、3月13日に現地入り。そして、その日に原発の2度目の大きな爆発がありました。
原発から離れていく方向の渋滞の車を横目に、私は原発近くの老人ホーム支援に行くため、逆方向へ。つまり、原発方向へと向かう車。言い知れぬ恐怖を感じながらの移動。
なんとか、たどり着き、その後、約2週間介護施設で支援することになります。
そして、川崎に慌てて戻って、突貫工事で迎えた約1週間後の選挙戦。福島の子供達へ「絵本を送ろう被災地へ」という活動とともに行いました。
「福島がこんなことになったから、落ちたとしても、自分の行動に悔いはない」と開き直り、臨んだ選挙戦。結果はなんとか、まぐれで真ん中6位当選。
そして、あれから13年。今でも福島出身議員として、愛するお世話になった故郷福島へ、細く長く「福島と神奈川の架け橋になる」という活動を続けています。義援金はもちろん、今は人的交流に注力しています。
福島出身で神奈川で政治家をやっているからこそ、「福島のため、神奈川のため、そして、日本のためにできることがある」との思いを貫き、これは生涯のテーマとして、引き続き、取り組んで参ります。
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